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◆DDのメヂカラ◆

この大きな眼を通して感じた、いろいろなこと。。  日常生活、台湾、金融、書評など

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words from an Alcoholic 






"Lord, give me the courage to change the things which can and ought to be changed,

the serenity to accept the things cannot be changed,

and the wisdom to know the difference"








アメリカのアルコール依存症患者の言葉。

PARADIGM SHIFT!!! 

最近、「7つの習慣」をまた通読している。


7つの習慣―成功には原則があった!7つの習慣―成功には原則があった!
(1996/12)
スティーブン・R. コヴィージェームス スキナー

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そこで、実際に自分の身に起きた「パラダイムシフト」を紹介。

ちなみにパラダイムっていうのは、うまく訳する語彙がないけれども、
「枠組み」というか、「価値観」というか・・・

パラダイムシフト、といったときは、たとえばインドに行って人生観変わったよ、というような
ものの見方が180度変わってしまう現象を指します。



******




今月の日経新聞。

知る人ぞ知る「私の履歴書」というコーナーで、月単位でリレー形式で自伝がつづられているのですが
今月はユニチャーム会長の高原慶一朗さんの連載。




takahara.jpg






ここで余談ですが、ぼくは人づきあいをする上で、

筆跡からその人の人となりを予想する習慣があります。


たとえば、整ったきれいな字体の人は、几帳面でよい教育を受けてきたんだな、とか
丸文字の人は少なくとも攻撃的ではないなとか
筆圧が強くて豪快な字を書くひと(亀井静香さんとか)は、頑固なんじゃないか、とか。。





それで、「私の履歴書」欄は、その題字を筆者が直筆するのが通例となっているんですね。


これは正直な感想ですが、

「高原さん、字きったなぁ!!!!」



と思ったのです(気になる人は日経とってください)



だから、
「あ、この人は立派な経営者かもしれないけれど、いいとこ出の学術系ではじゃなくて、生え抜きの商売人なのかな」
とか思ったわけです。




そしたら、読み進めるうちにすごいことが判明しました!!!



なんと先日脳出血で倒れて、右半身が不自由で、リハビリ中だというのです。。



そしてこの題字は、練習した成果なのだ、と。。








ぼくは自分を深く恥じました。。。




なんと浅はかな。。
筆跡で人柄が大方わかるという自信は打ち砕かれました。






高原さんを見る眼がはっきり、音をたてて変わりました。
それと同時にこれからこのように先入観をもってしまうのはやめようと思いました。






そして思ったのです。

「これがパラダイムシフトか!!!」





あなたもこんな経験ありますでしょうか。

苦痛に人はどこまで耐えられるか。 

戦争映画で、負傷兵が

モルヒネ!!!モルヒネをくれ!!もっとだ!!!


と言っている場面を見るたび、


じっさいどれだけ痛いんだろ・・・ と思います。




でも、思うに、痛みってのは
体験するまでわからない
もんじゃないでしょうか?




20080309_05.jpg



おれが人生で一番痛かった経験は、
顎関節症で外れたアゴを、無理やり元の位置に戻したときの痛みだと思われますが、
つまりその痛みを最大値として、
それ以上は想像で補うしかないですよね。。


*******


まぁ上の話はぶっちゃけ余談です。笑
でもたまにこんなことをとりとめもなく考えちゃいますよね。




本題は、先日も書評を書いた
「ガンに生かされて」の中に出てくるフレイズ。



「どんな苦痛でも、それに少しの罪も混じっていなければ、耐えられるものである」

(p.200)


著者は末期ガンと戦っており、その痛みの描写は、はっきりいってエグい。
いつも顔をしかめながら読む。

同時に、著者はクリスチャンであり、
苦痛と戦うときに拠り所にしていた言葉が、これだ。
おそらく出典は聖書だと考えられる。


******



一片の罪もないような、カラッとした人生を歩めたなら、
どんな苦痛も困難も乗り越えていけるのでしょうか。

苦痛を否定したり逃げたりせず、受け止められるような
立派な男になりたい。

シェイクスピアが理解できるようになれれば、かなり成長したのではないかと。 

そう思いながら、結局読んでいなかったり。

「マクベス」も「ロミオとジュリエット」も、図書館で借りて、中途半端なまま返却した記憶のみ。




ゲーテも読みたい。
これからね。余裕があればね。




こういう古典とかって、日本語の翻訳読んでもなんか違和感感じるし、
英語のオリジナル読んでも理解できないっていうジレンマにいつも陥る。

はい。言い訳ばっか。


******



Dale Carnegieの本読んでたら、シェイクスピアが引用されていたので紹介。


「there is nothing either good or bad. but thinking makes it so.」


非常に短いセンテンスだけど、エッセンスが凝縮されている印象。

すごく気に入ってしまった。
やっぱシェイクスピアは読まなければ!

高校までの教育、大学からの教育 

高校までは、授業といっても、ほとんどレクチャー型。
一部英語のスピーキングやディベートなどで、ディスカッション形式はあったものの、
基本的には、先生が話しをして、生徒はメモをとるか、寝るか。
んでテスト前になったら詰め込みで暗記して、

ex.
アヘン戦争が起こったのは何年? →1840年
アヘン戦争はなんで起こった?   →清が、アヘン輸入を制限して、イギリスがそれに対して報復したkら


とか、一問一答、答えがガチガチに決まってる問いばかり。

先生は、「知識」を、生徒に伝える。
生徒は、先生が言ってることが全てだと、無意識に思ってる。
正しいことばっかりじゃないのに。



******



じゃぁ、大学の教育ってどういうもの??


先日、ドイツ人の教授が言ってた言葉が耳に残っています。

「大学の授業では、教授を疑いなさい。自分の考えを武器に、挑戦してみなさい」



なるほど。。。




意識はしてなかったけど、その点で言えば、高校までの授業とはかなり違う。。
人数的な側面ばかりじゃない。
やっぱり教授ってのは、質問を受け入れて、ディスカッションを持とうとする。
(特に欧米系の教授は)


その時生徒に求められてるのは、
「私は違うと思います。それは~~という理由からです。先生はどう思いますか」

という質問、発言。



こういう属性の発言を、高校時代にしていた人はどれだけいるでしょう。
こんなこと言ったら、どうなるでしょう。
特に日本では。



・・・何あいつマジメぶってんの

チョーシこくなよ

自分頭いいと思ってんの?




心の声は
こんな感じでしょうか。




でもやっぱり何かを学ぶっていうのは、
この大学スタイルが一番いいんじゃないかとぼくは思いました。



さっきのアヘン戦争の例で言えば、


ex.
1840年に、アヘン密輸が原因で中英間でアヘン戦争が起きましたが、
これはその後の清に、どのような影響を与えたと思いますか。


こんな感じの問いでいいんでしょう。
きっと、答えは一通りじゃない。


ぼくなら、
強大だと思われていた清が、列強に敗れたことによって、
その後ほかの国(フランスや日本)につけいる隙を与えた。
的な論点で書きたいです。

きっとほかの人は別のこと書くでしょう。


もっともっと、考える力が欲しいですね~
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