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◆DDのメヂカラ◆

この大きな眼を通して感じた、いろいろなこと。。  日常生活、台湾、金融、書評など

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人は人を裁けるか 

いま、’カラマーゾフの兄弟’を第三巻の途中まで読み進めています。

それから、Sociology of Globalization という授業のなかで、Luther,Calvinの宗教改革についても触れました。


何が言いたいかというと、キリスト教の歴史的な重要性はぼくたちが想像しているよりもはるかに大きく、普遍的であるということ。

***************



とはいえ、普段宗教というものを深く意識することの無いぼくたち日本人には、
かなりとっつきにくいテーマ、そして理解しにくい世界であります。


ぼくたちに罪はあるのか。
そして、あるならば、何に対して?どうやって償う?

ぼくは、自分には大きな罪があると思う。
なぜなら、毎日毎日ほかのいのちを犠牲にして生きているから。
ただ、それを償う行為をしていない。思い上がりといわれても仕方ないと思います。


***********


日本でも陪審員制度が始まりましたね。



なんか、思ったんです。
最高裁判所の裁判官だって、全知全能の存在ではないんです。
仕事が終わったら、ツタヤでAV借りて、家でみっともない行為するただのおっさんかもしれないじゃないですか。
彼らだって悪いこと一切したことないわけではないし。ただ、だからこそ善悪が判断できるという側面はありますが。

彼らに、人の悪事を裁く権利があるのは、いったい何によるのですか。

今までたくさんの勉強をしてきたから?
人柄がまじめだから?
多くの前例を学んできて、一番公正な判断を下せる可能性が高いから?

そんなもんでいいんですか?


人を裁けるのは、人の知能の限界を超える、超自然的な存在だけではないんですか。
それが、神と呼ばれているのでは??

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この記事に対するコメント

裁くっていうことの意義次第なんじゃないかな、と思う
絶対的な存在が上から見下ろして上からの目線で裁くっていうのと
同じ世界で生きていて横からの目線で裁くっていうのは違うと思う

人間が人間を裁くっていうのは、結局は裁く側の人間が
裁かれる人間を自分と同じ世界に生きる人間として
どの程度まで許容できるかっていう判断基準が少なからずあるんじゃないかな
被告に同情して刑が軽くなるっていうのもありがちだし

URL | keo #-

2009/10/03 16:56 * 編集 *

keo:

たしかに、そういう目線で捉えると、非常に人間的な「裁き」だよね。
でも、そういう人間的な「裁き」と、宗教的な「審判」(というんだろうか)とは大きな差があるはず。
そして、そこが一番わからないところだったりする。

URL | DD #-

2009/10/03 18:02 * 編集 *

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