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◆DDのメヂカラ◆

この大きな眼を通して感じた、いろいろなこと。。  日常生活、台湾、金融、書評など

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苦諦(くたい)。 




安岡正篤さんという、東洋思想研究をしていらっしゃった先生がいる。


その人生観からは学ぶことが多く、実業界にも先生の著書を愛読している人が多い。



ぼくも、直接の著書ではないんだが
寺師睦宋さんという安岡先生の弟子にあたる方が書いた本を数冊持っていて
先生の思想がわかりやすく解説されているので、もう何遍も読んでいる。

ちなみに、内一冊はトイレにいる。 トイレ文庫スタメンだ。

今日も、朝のお勤めのときに読んだ。

ふんばりながら読んだ。 人生で一番、充実した苦しみが感じられる瞬間に、ぼくは安岡哲学を学んでいた。

そしたら、ふと、わかった。

「無明」(真理に暗い状態)に限りなく近い、解脱からはほど遠いぼくだったが、

安岡哲学(というより、仏教思想か)が突然すっと身にしみるように理解できた。


人生は苦しみの連続だ。

苦しみを一つ乗り越えても、また別の苦しみがある。

諦めなければならない。

pain is inevitable, but suffering is optional.

ここでいう諦めるとは、屈することではない。

受け入れるということなのだ。

その苦しみを消化し、諦めの上に立ち、

解脱へ一歩一歩近づけるかは、自分次第なのだ。






ぼくは朝のお勤めを終えた。

苦しみは消えていた。

そこでぼくは思った。

「やっぱ苦しいのはやだな。」
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「そこ」にたどり着くには。 










ぼくの好きな言葉に、こんなのがあります。





"There" is no better than "Here".

When your "There" has become "Here", you will simply obtain another "There"

that will again look better than "Here".






追い求めていた 「そこ」 にたどり着いたとき、

「そこ」 は 「ここ」 になり、

また新しい 「そこ」 が現れる。





現状に甘えていい、という教訓ではないとぼくは思います。

むしろ、今自分に与えられているものにどれだけ感謝できて、限られた資源をどれだけ有効に使えるか。



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道は、どこかにつながっている。
一歩踏み出すのは時にしんどいけど、なんとかもがきつつ前進するしかないのかもしれない。
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「なぜ」を5回問いかける 




写真は琴似神社。

梅の花(たぶん)が咲いていた。
北海道に桜が咲くのはまだ先のことみたいだ。

******


問題の根本を捉えるためには、

「なぜ」を5回問いかけることだ。


たしかトヨタの企業精神だったかな。

壁にぶち当たることがあったら、必ずこれをやろうと決めている。
大きな問題の原因が実は身近なことだったとか、そういった例は少なくないはず。


******


昨日は天気が良かったので、三角山に登って札幌の整然とした街並みを見下ろしてきた。

風の強い日だった。

登山道の途中に少し開けた場所があって、そこで腰を降ろしてゲーテの「ファウスト」を読み進めていた。
とても言葉の美しい物語だ。
人間の本性について描写していることが多く、とても考えさせられる点が多い。

ふと思った。

自分にはわからないことが多い。

人間は不完全な生き物だ、なんてよく言うが、

不完全どころじゃねーな。

どれだけ努力しても、世界の物事の1%くらいわかれば上出来じゃないか。

例えば、その日は強い風が吹いていた。
風ってなんだ。
ただの空気の流れじゃないか。
でも、それは生き物のように、登山道の草を奥のほうから順々に揺らし、数枚の枯葉を纏ってぼくの顔に体当たりしてきた。
かと思うと風は既にぼくの後ろへ過ぎ去っていき、後ろではガサガサと木を揺らす音が聞こえ、ぼくの周りはまた静寂。

果たしてそれは、
「空気の寒暖差による下降気流」
であるのか、それとも
「風」
なのか。

その空気の流れを、気象学者はどう理解し、エゾリスはどう理解し、ぼくはどう理解するのか。

それのどれが正しいのか。
誰が本質に一番近いのか。

なぜ風は吹くのか。誰のために。どういう気持ちで。誰と一緒に。

なぜ。なぜ。
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児童ポルノへの認識の甘さ 

カンボジアの国境へ着いたときのこと。

入境検査の窓口の横には、これでもかというほど目立つ、児童ポルノ根絶のポスターが貼られていた。
それを目的に入境する人が絶えないのだろう。


一方、日本国内では、児童ポルノの摘発件数はここ三年間で爆発的に伸びており、2010年で1342件を記録している。
ついでに言えばHIV感染者数まで増えている。

問題は、その数が増加しつづけていることだ。

周りにいないだろうか。冗談で「ロリコン」とからかったりするやつ。なんか当たり前のように感じているけど、そんな軽い意味の言葉だろうか。

ゲイもいる。レズビアンもいる。
人それぞれ嗜好があり、様々な愛の形があることは可能な限り社会全体で肯定するべきだ。
ただし、児童ポルノには、「同意」が欠けている。
幼い子供が、何もわからぬまま人権を奪われている。

そのことに対して、日本人全体として、どれだけ危機感を持っているだろうか。
コンビニでもエロ本が買えて、ネットでいくらでも無修正動画が観れる時代に、何人の人が児童ポルノだけは絶対ダメだなんて考えるだろうか。

日本は高知性と野蛮をそれぞれ持て余してるんじゃないか。
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自己自身について絶望した彼は、自己自身から抜け出ようと欲する。 



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高校のとき言われました。



「あんた、キルケゴールに似てる!」





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この言葉を聞いたぼくは、絶望したのです。


なぜぼくは絶望したのか。


ぼくがキルケゴールに似ているという事実に?


違う。 自己自身に絶望していたのだ。


そしてぼくは、自己自身を抜け出ようと欲した。




鏡を見た。


やっぱりキルケゴールだった。



「彼は自己自身を食い尽くしている」



かつてソクラテスは 魂は魂の病(罪)によっては食い尽くされることはないとし、魂の不死を証明した。


しかし絶望がもし人間の自己を食い尽くしえたとするならば、人間は絶望する必要がなかったであろう。


かくして、絶望、自己におけるこの病、は死に至る病である。




死に至る病とは絶望のことである。
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